空間を共有するという体験に飢えている

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ひさしぶりのポエムです。

コロナ禍に突入してもうすぐ2年が経とうとしているわけだが、生活のあり方は大きく変わってしまった。仕事の面でもプライベートでも人と物理的に近い距離で接するということがそれまでと比べて極端に減ってしまった。

リモートワークに関しては去年コロナ禍が始まった頃に以下の記事で書いた。

リモートワークについて考えてみた - Sweet Escape

リモートワークは難しい。生産性悪くて当たり前 - Sweet Escape

リモートワークの是非については本題ではないし、推進派でも否定派でもどちらでもない。強いて言うなら好きにさせて欲しい派。リモートのほうが効率いい時はそうするし、会った方がいい時は会う、みたいな。

さて、リモートワーク中心になってオフィスはもちろん、飲みにも行かなくなって、好きなライブにも行かなくなったりしてるんだけどなんとなく最近は生活に張りがない感じがしてきている。

リモートワークでも仕事は全然回る。以前は効率悪くて当たり前と買いたが慣れた今となってはむしろ前よりいいかもしれない。一方で偶然から生み出されるものは少ないなーと感じている。別にイノベーションとかそんな大それたことじゃなくたっていい。雑談から生まれるであろう社会生活における心地よいノイズみたいなものが失われた気がしている。

音楽のライブもそうだ。大きな音を身体で耳で感じたり、時にゾクっとするようなパフォーマンスというものは家では体感できない。どんどん再開はされてるしワクチンも打ってるものの、どこのライブハウスも狭めの密閉空間であることからまだ少し抵抗がある。野外のフェスも今年はちょうどその時期に子どもが産まれた関係でパスした。

じゃ配信があるじゃないか、と思う人も多いだろうけど初期こそいくつか観たりしたが最近はもっぱら配信ライブには参加することがなくなってしまった。アーティストの支援という観点ではよくないんだろうけど、どうしてもライブハウスにおける前述のような体験は得られないので見なくなってしまった。そもそもアーティストの顔を見ることには大して興味がないこともある。

リモート飲み、Zoom飲みもそうだ。自分が単にオールドタイプであって若い世代とかネットワークと画面越しでも同様の体感と満足感を得ているのかも知れない。順応していると言うか。

ではこの感覚とか求めてるものは何なのかなと考えてみると、自分が欲しているのは自分以外の人と空間と体験を共有するということなのではないかと思えてきた。

同僚とのホワイトボードを前にしたディスカッション、ライブハウスに集まる人々の熱気、親しい友だちなどとの飲み会。技術イベントやカンファレンスなんかも同様だ。いずれも本質的な部分は充分代替出来てるんだろう。

でも何かがやはり物足りなく感じるのだ。

時間と場所と空間をその場にいる人たちとリアルタイムに共有すること、つまり体験を共有することこそがこの2年弱の期間で失ったものであり求めているものだった気がしている。

そして当時は気づいてなかったがとても貴重な瞬間だったんだろう。

世界は近くなったようで遠くなった。そして味気なくなった。

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